モンスターエンジン西森洋一さんは、東大阪出身のお笑い芸人でありながら、実家が町工場を営んでいたという異色の経歴を持っています。
学歴や芸人を目指すまでの道のり、さらに町工場との意外なエピソードや、ものづくりとお笑いに共通する創作活動へのこだわりを詳しく紹介します。
モンエン西森の経歴まとめ!
モンエン西森の出身地や工場との意外な関係も紹介
西森さんの知られざる一面を知ることで、彼のネタや活動がより深く楽しめること間違いなしです!
モンスターエンジン西森の経歴まとめ!
モンスターエンジンの西森洋一さんは、大阪府東大阪市出身のお笑い芸人です。彼の歩んできた道のりを詳しくご紹介します!
学歴と学生時代
- 中学校:大阪市立菫(すみれ)中学校
- 高校:大阪市立都島工業高校
都島工業高校は1907年創立の歴史ある学校で、理数工学・電気電子工学・機械・建築など幅広い学科を持っています。
偏差値は51〜53と、しっかりとした実績を誇る学校です。
高校時代の西森さんは軟式野球部に所属し、スポーツを満喫!

プロ野球・西武ライオンズの大ファンだったそうですよ。
学生時代から、スポーツと音楽に夢中。
また、音楽にも強い興味を持ち、高校卒業後は音楽系専門学校への進学を目指してアルバイトで資金を貯めていた時期もありました。
最終的に大学進学はしませんでしたが、この努力と情熱は後の芸人活動にも大きな影響を与えています。
- 菫中学校出身
- 西田佐知子さん(歌手)
- 川上未映子さん(小説家)
- 都島工業高校出身
- 松本竜介さん(お笑い芸人)
- 神戸守さん(アニメーション監督)
芸術方面で活躍する人も多く、西森さんが自然に芸能の世界に惹かれたのも納得です
お笑いの道へ
本格的に芸人を志したのは高校卒業後のこと。
最初は「みかんとんがらし」というコンビで短期間活動した後、20歳の頃に荒牧周平さん、別人の西森洋一さんとともにお笑いトリオ「にのうらご」を結成しました。
その後、2007年4月に荒牧さんが脱退。
脱退わずか2時間後に、現在のコンビ「モンスターエンジン」を結成。
この行動力とスピード感は、彼らの芸風にもよく表れています。
快進撃の始まり
モンスターエンジンは、結成翌年の2008年に「M-1グランプリ」の決勝へ進出。
さらに同年、バラエティ番組「あらびき団」にも出演し、全国的に知名度を一気に高めました。
高校卒業後は町工場で働きながらも芸人の夢を諦めず、努力を重ねた西森さん。
その姿勢は、今も多くの若者たちに勇気を与えています。
モンスターエンジン西森の経歴まとめ!出身地・工場との意外な関係も紹介
モンエン西森の出身地や工場との意外な関係も紹介!
モンスターエンジン西森洋一さんには、お笑い芸人とは別に、「町工場」との深い絆があります。
彼のルーツをたどると、
実家は東大阪の鉄工所!
西森さんの実家は、精密機械部品を製造する鉄工所。
父親は徳島県から大阪に出てきて家庭を持ち、西森さんが小学校5年生の時に工場を開業しました。
母親も一緒に工場を支え、家族みんなで出前を取りながら工場で夕食を囲む、そんな町工場が生活の中心となった家庭で育ったのです。
機械好き少年・西森洋一
夏休みには工場を手伝い、機械の操作もお手のもの。
なんと、父親からも機械いじりの腕を「うまい!」とほめられるほどだったとか。
「ゲームより機械をいじってる方が楽しかったんです!」
とはいえ、町工場の厳しい現実も間近で見ていた西森さん。
子供のころから「この道は継がない」と心に決めていたそうです。
高校卒業後、町工場での3年間
実家は継がなかったものの、高校卒業後には大阪市内の町工場で3年間勤務。
職人の現場を経験し、技術を身につけました。
この時期に培った「ひとつひとつ丁寧に仕上げる精神」が、後のお笑い活動にも生かされています。
オフの日もものづくり!
芸人として忙しい今も、オフの日には実家に帰り、機械を操作してスマホやタブレット用のアクセサリー製作をすることもある西森さん。
ネタ作りとものづくり、どちらにも共通しているのは、
「丁寧に仕上げないと、いいものはできない」
という信念です。
父親から受け継いだ「職人気質」
西森さんの父親も、単なる大量生産よりも、難しい単品加工に燃える職人気質。
そんな背中を見て育った西森さんにも、作業に魂を込める精神がしっかりと根付いています。

町工場の日常を漫才に!
西森さんは、自らの町工場体験をもとに、作業服姿で「始業前体操に遅刻する社員」などのリアルなコントを披露。
この「リアルさ」が、視聴者に深い共感を呼び、独特の笑いを生んでいます。
地元産業への思いも熱い!
芸人活動の一方で、西森さんは町工場の現状にも強い危機感を抱いています。
- どんな部品を作っているのか分かりにくい現状
- 町工場同士のネットワーク維持の重要性
こうした課題を、SNSや動画サイトで発信すべきだ!と提案するなど、地元産業への熱い思いを見せています。

「モノづくり東大阪応援大使」に就任!
笑いとものづくりを結びつける存在として、今後の活躍にもますます期待が高まっています。
お笑いとものづくりの共通点とは?
彼は「お笑い芸人」でありながら、町工場の現場でも活躍する“ものづくりの人”でもあります。
一見まったく違う世界に見える「笑い」と「機械加工」ですが、西森さんはこの2つに意外な共通点を感じているのです。
「細部を積み上げる」作業に共通する哲学
西森さんは、アドリブや一発ギャグではなく、文章を練ってオチまで作り込むタイプの芸人。
劇場での何気ない会話の中にも笑いのヒントを見つけ、すかさずスマホにメモを取るなど、観察力と記録力はまさに職人技です。
「目の前でメモを取るのって、ちょっと気まずいんですよ…でもネタになるならやります!」

まさに「ものづくり職人の精神」と通じるものがありますね。
アクセサリー製作にも“こだわり”が光る
西森さんはオフの日に、実家の工場でスマホアクセサリーを製作することがあります。
作業中に大切にしているのは、「わずかなズレが品質を大きく左右する」という意識。
雑に作ってしまえば、いいものにはならない。

その感覚は、漫才のネタ作りにもそっくりです。
父親譲り?
彼の父親もまた、単純な大量生産よりも、複雑で難しい単品加工にこそやりがいを感じるタイプでした。
そんな父の背中を見て育った西森さんにも、細部までこだわり抜く精神が自然と染み込んでいます。
町工場を“ネタ”ではなく“尊敬の対象”として。
西森さんが町工場を題材にしたネタを作るときも、そこにはリアルな経験と敬意があります。
「作業服を着た社員が始業前の体操に遅刻する」といったネタも、
実際の現場を見てきたからこそ、細部までリアルに描けるのです。
町工場をもっと“見える化”?
西森さんは、町工場の魅力をもっと伝えるための発信活動にも力を入れています。
- どこで何に使われているのか分かりにくい製品
- 町工場同士のつながりの希薄化
こうした課題に対して、「動画やSNSで町工場の仕事を視覚的に発信することが大切」と提案しています。
若者が憧れる“ものづくりの現場”へ
町工場の労働環境はまだまだ改善の余地があり、
西森さんも「待遇を良くするには、特許やブランド化も必要」と語っています。
こうしたビジョンも、ネタ作りで身につけた「課題を分析して改善策を出す力」が生きている証拠です。
笑いも製品も、魂を込めた作品
西森洋一さんは、ただの芸人ではなく、職人でもあり、クリエイターでもある存在です。
漫才もアクセサリーも、笑いも加工も、
「丁寧に仕上げる」という姿勢がすべての原点。
その職人気質は、芸人としての表現にも、工場での作業にも、色濃く表れています。
まとめ
モンスターエンジン西森洋一さんは、大阪市立菫中学校・都島工業高校を卒業後、町工場での勤務を経てお笑い芸人への道を歩みました。
実家が精密機械部品を製造する工場だったこともあり、機械いじりが得意で、今でもものづくりに情熱を注いでいます。
文章を練り上げてネタを作るスタイルや、細かい作業を重視するものづくりへの姿勢には共通点があり、彼の職人気質を感じさせます。
町工場の魅力を広める活動にも力を入れており、単なる芸人を超えたクリエイターとしての一面を持つ西森さんの今後の活躍に注目です。